みなさんは「紅赤(べにあか)」という種類のサツマイモをご存知でしょうか?「サツマイモの女王」と呼ばれ川越名産のイモとしてサツマイモの世界ではちょっとした有名なおイモです。なんだ、やっぱり川越のことじゃないかって?いやいや、そうではないのです。
ここに「紅赤の100年」という一冊の冊子があります。今回はこの本をガイドに北浦和と「紅赤」の意外な関係をお話ししていきましょう。小中学生なら夏休みの自由研究にももってこい?
サツマイモの基礎知識
サツマイモの生まれはどこ?
さて、本題に入る前に私からみなさんにひとつ質問です。
「サツマイモの原産地はどこでしょう?」
「そりゃぁ薩摩(さつま)のいもだから鹿児島でしょう!」と答えた方は残念ながら不正解。確かに日本にサツマイモが伝わったのは鹿児島(当時の薩摩藩)が最初でしたが、原産地は「アメリカ」が正解!
時は15世紀、あの有名なコロンブスが西インド諸島から持ち帰り、スペイン女王のイザベラに献上したのが世界に広まるきっかけでした。そこからまず、当時スペインの植民地だったモロッコやフィリピンに伝えられます。そして中国や沖縄に伝えられ、薩摩藩が琉球王国(沖縄)を併合したことによってようやく日本に伝わってきたのです。それが江戸時代初期のことですから、それまでの日本にサツマイモは無かったのですね。
忘れちゃ困る?青木昆陽!
次に、「サツマイモといえばこの人!」というくらいの歴史的重要人物がこの「青木昆陽(こんよう)」という人です。8代将軍徳川吉宗の頃、当時の農民達は度々起こる大飢饉によって苦しめられていました。一度飢饉が起これば食べ物が無くなり、大勢の人が飢え死にしてしまいます。
そこへ登場したのがこのサツマイモ。サツマイモは不作に強く、米が育たないような場所でも栽培することができます。また保存食としても優れていたため、江戸幕府はこれに目をつけました。幕府としても飢饉で年貢が減ってしまうのは困りものだったわけです。
早速、青木昆陽は薩摩藩からサツマイモを取り寄せ、栽培方法や料理法を記した『甘藷○』を書き上げ、日本各地へサツマイモを普及させました。浦和や川越でサツマイモが作られるようになったのも、ちょうどこの頃のお話しです。
栗(九里)より旨い十三里半?
ところでみなさんは「栗よりうまい十三里半」この言葉を聞いた事がありますか?若い方にはあまり耳なじみがないかもしれませんね。あるいは、子どもの頃にはよく聞く言葉だったよ、という人も多いと思います。これもちゃんとサツマイモに関係のある言葉なのです。
サツマイモが伝わって少しすると江戸周辺でやきいもが名物として飛ぶように売れるようになりました。そのとき看板に書かれていたのが「栗よりうまい十三里半」というなぞめいたこの言葉。どういう意味だかわかりますか?
サツマイモは甘味が強く、人々の絶好のおやつだったのです。それは栗よりもおいしいものでした。「栗(9里)より(4里)うまい」ということで(9+4=13)13里。それよりおいしいということでおまけの半里をたして十三里半、という言葉遊びだったのです。当時の人々にサツマイモが大人気だったことが伝わってきますね。ちなみに1里は今の3.93kmにあたります。
前編はここでおしまい。え?北浦和が出てこないじゃないかって?あら、そうですね。でも、あせらないあせらない。次回はこのサツマイモと北浦和の意外な関係をお話ししましょう。乞うご期待!
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